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梶教授がシーボルト研究に新たな知見を紹介

2016-11-15

 本学の梶輝行教授が、10月11日(火)、東京・赤坂にあるドイツ東洋文化研究協会(大ホール)で開催された「日独シーボルト・シンポジウム2016」で、「シーボルト事件発覚の検証と事件後の影響」というタイトルで研究成果を発表した。個別発表に続き、「いわゆるシーボルト事件」をテーマとしたシンポジウムにも梶教授は登壇し、シーボルト事件の発覚が、シーボルト(Philipp Franz von Siebold.1796-1866)が帰国に際して乗船する予定であった蘭船コルネリス・ハウトマン号が、文政11年8月8日(1828年9月16日)夜半から翌朝にかけて長崎を襲った台風によって湾内に座礁し、その修復のために陸揚げされたシーボルトの荷物から、国外持ち出し禁止の伊能忠敬の日本地図(伊能図)等が露見して事件が発覚したとするこれまでの説を完全に否定する研究発表を行った。梶教授は、オランダのハーグ国立文書館所蔵の日本関係オランダ商館文書中の商館長メイラン(Germain  Felix  Meijlan)が筆録した『公務日記』と『特別日記』を根拠にして、台風発生時には蘭船コルネリス・ハウトマン号には、船体の安定性を保つために輸出銅500ピコルすなわち約30トンが積み込まれていた以外、シーボルトの荷物はもちろん舶載予定の貨物はこの時点では一切積み込まれていないことを確認したもので、100年以上にわたって歴史的事実とされてきた「蘭船積荷発覚説」を完全に論破した。
 梶教授はその論証を踏まえ、シーボルト事件の発覚が、長崎出島のシーボルトが1828年2月25日付で幕府の勘定方普請役の間宮林蔵(北方探検でも名高い間宮海峡の発見者)宛の書簡・小包を、間宮が上司の勘定奉行村垣淡路守定行に提出したことが発端となり、その後シーボルトと交信のあった幕府天文方兼書物奉行の高橋景保とその周辺の探索、そして長崎のシーボルトを巡る内偵とにより、同年11月の高橋逮捕を契機に、12月以降には出島の捜索やシーボルト訊問へと拡大し、いわゆるシーボルト事件が発覚した経過を、国内外の史料に基づいて紹介を行った。

 

           

 

 参加者からは、「吉村昭『ふぉん・しいほるとの娘』でも広く知られているように、シーボルト事件がオランダ船の積み荷から国禁の日本地図等が発見されたことで起こりとされてきた従来の説が虚実であったことが証明され、まさに目から鱗の発表を伺うことができた。このことは氷山の一角であり、改めてこの事件をもう一度史料を精緻に検討してしっかりと究明していく必要がある。」といった意見や、「梶教授が今回の発表では触れられなかった、江戸時代後期のオランダ商館長江戸参府に与えたシーボルト事件の影響に関する論文を読み、今回の発表と連動していることがわかった。ぜひこのことについても別の機会に発表してほしい。」といった意見など多数あった。梶教授は、ドイツ東洋文化研究協会での発表後、ハンス・カール・フォン・ヴェアテルン (Dr. Hans Carl von Werthern) 駐日ドイツ連邦共和国大使から東京・南麻布の同国大使館に招かれ、今回の研究発表と今後の更なるシーボルト研究の発展と貢献に期待を寄せる讃辞を賜った。
 今年はシーボルト没後150年ということで、東京・千葉・長崎の各地で特別展やシンポジウム等が企画開催され、それぞれ注目されてきたが、その中でも梶教授の発表は新たな知見を紹介したものとなり、参加者からも大きな反響があった。

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